薬師寺のお坊さんのお話

キッチンアミアさんで薬師寺のお坊さんのお話をきいてきました。

 

 

http://www.amima-labo.com/original2.html

村上定運さんです。

【時事ネタあり、ボケやツッコミ満載の法話は爆笑に次ぐ爆笑だ】

と噂です。

 

奈良のお寺(東大寺・薬師寺・興福寺)の特徴として、お葬式をしない、檀家を持たないというのがあります。

奈良・平安時代までに成立した奈良のお寺は、現代人が連想するような亡くなった方を弔うのが仕事ではなく、経典を読み込み解釈し、国家運営に役立てることが目的の学問仏教でした。逆に言えば、政治が仏教思想に基づき動いていた訳で、寺は学校だったそうです。

 

例えば、ランチに何が食べたいとか言う時も、お互いに主張していては喧嘩の元になりますよね?

 

あなたの事を考えて、パスタがとっても美味しいお店を見つけたからニコニコ

 

と言われたら悪い気がしませんよね?

言い方で、全然違うというお話もされました。

 

薬師寺と言えば、高田好胤さんが有名。

高田好胤さんとは

 1967年、好胤が管主に就任すると、金堂の再建を志し、ついで西塔、中門、回廊などを次々と再建。特に、西塔の再建については強い世論の反対があったが、小説家でフランス文化相だったアンドレ・マルローの賛意を背景に実現した。その是非については現在も議論が分かれている。再建費用は大きな課題であった。

 金堂の再建だけでも約10億円が必要だった。檀家を持たない薬師寺には、その負担は困難であった。そこで高田は全国の篤志の人々から、一人1000円の写経納経の供養料を集める“写経勧進”を行い、賄おうと考えた。一人1000円では100万人の写経が必要であった。始めてみると、最初の年には一万巻しか集まらなかった。

 好胤は全国800以上の市町村で8000回におよぶ講演をして周った。好胤著「心 いかに生きたらいいか」の出版が好調だったこと、三越百貨店での月光菩薩展示も追い風となり、復興事業は一挙に進んだ。1976年には念願の100万巻が達成され、同年、金堂が再建された。その後も写経勧進は進み、1997年には600万巻にのぼった。写経勧進は現在も薬師寺の大きな柱の一つとなっている。

 

高田好胤さんは祖母の友人で、良く話を聞いていました。

なので、今回の村上定運さんのお話を聴けてとても良かったです。